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短編「人の愛し方」③(完結)

2017/ 06/ 14
                 

            

スケッチを終え、橋山は煙草を吹かし言った。

「君の仕事はもう終わりだ」
そう言うと咥えていたパイプを灰皿に置き、立ち上がる。
橋山は理人の両親と大差ない年齢に見えた。年代の割に背は高い。

「お茶を入れよう」
橋山はそう言い理人が返事をする前に、後ろ手にドアを閉め部屋から消えた。

アトリエは個人の自宅にあるものにしてはかなり広い。30畳はありそうな長方形の部屋は、途中からサンルームに切り替わり、引き戸を開ければそのまま芝生の庭園に繋がるテラスに出られる。

理人がポーズを取っていたのはサンルームの部分で、春の柔らかな日差しが差し込んでいた。
橋山の家は都心から新幹線で1時間弱の場所にある地方の高級別荘地だ。
駅から迎えの車に乗り数十分、土地勘がないので詳細はわからないが車はずっと上り坂を走っていた。


楽にしていてと言われたものの手持ち無沙汰だった。
室内をぼんやり見渡すと作りかけの彫刻が数体部屋の隅に置かれていた。
鹿のような角のある動物、赤ん坊を抱えた女性、羽の欠けた天使のような少年。
理人は美術についての知識は皆無だったが、その造形は美しく惹き付けられた。
立ち上がり、少し近づいてみる。
角の動物の彫刻は筋肉が浮き出て、今にも動きだしそうに肉感的だ。

彫刻の位置からは、橋山がスケッチしていた理人の絵が斜め横から目に入る。
気にならないといえば嘘だったが、許可をもらわずに絵に近づくのはあまりにぶしつけに思えた。

沈黙の中でドアの開く音がして理人は振り返った。橋山が戻ってきた。手にはお盆の上にティーカップとガラス製のポットが見える。

「…見るかい?」

橋山は理人の気持ちを読んだかのように言った。
「いいんですか?」
「構わないさ、君が作品のモデルなのだからいいも何もない」

理人は促されるまま自分が描かれている絵に近づいた。
絵は抽象画ではなく写実的なもので、鏡を見るように、さっきまでのポーズで自分自身が紙の上に映し取られていた。
しかしまだ口元だけが描かれていない。

「美しいだろう?と君に言うのもおかしいか。君は毎日鏡で見ているのだからね」
橋山はそう言うとかすかに微笑んだように見えた。
「…口はまだないんですね」
「迷っているんだよ。一番難しいところだから。そこで全てが決まると言っても言い過ぎではない」

橋山は顎の下に手を置いて絵を見つめ沈黙した。1種の癖のようなポーズらしい。

「まあいいさ。後はゆっくり考えればいい。…冷める前にせっかく入れたお茶を飲もう」

橋山は部屋の入口側に置かれているテーブルにそれを置いた。テーブルを挟むようにカフェにあるような背もたれのある椅子が2つある。

理人はそこに座り、橋山はティーカップにそれを注ぐ。
紅茶の香りがアトリエに広がった。

「この前個展を開いたドイツで買ってきた紅茶だ」

無地の、飲み口から受け皿への曲線が美しいティーカップに注がれた紅茶には花びらが浮かんでいた。男性が注ぐお茶にそれが入っている事に理人はちょっとした違和感を感じた。

「花びらが入っている紅茶なんて初めてです」
素直に感想を口にする。
「薔薇だよ。この家の庭には沢山咲いている。香りがよくなるらしい。と言っても僕も店員の受け売りでよくわからないんだけど」
橋山はそういうとティーカップに手を伸ばし、理人よりも先にそれに口をつけた。

「美味しい。もう少し冷めている」

理人はティーカップに手を伸ばし口をつけた。
薔薇の華やかな香りが口腔内を満たす。

その柔らかな香りは、著名な作家である橋山の個人宅に1人訪問し、今までずっと張り詰めていた緊張の糸を緩めてくれるような気がした。

「問い合わせが絶えないらしいね」
橋山がティーカップを受け皿に戻し言った。
理人はその意味をわかりかねて一瞬考えた。
「あの青年は誰なのか、と」
そう言われ自分が出演したビデオクリップの事なのだと察した。しかし何と答えてよいのかわからなかった。

「…楽曲も今週の打ち上げチャート1位だそうだよ。僕の目に狂いはなかった。君を僕が撮れば間違いなくこうなると」

「まだ実感がないです」
「仕事の依頼が次々入るだろうね」
「だといいんですけど」
理人はビデオクリップの評判とそれにより自分が所属した事務所に多少の混乱が起きていることは知っていた。しかしまだ自分が芸能人になったという実感はなかった。

「…変わらないで欲しいね。僕が発掘した状態の無垢なままで。しかしそれは無理だろうな」

橋山はそう言うとちらりと理人を見つめ、立ち上がり、さっき灰皿に置いたパイプを手にとって近くに置いてあったライターで火をつけた。
再び理人の向かいに腰掛けて、理人の顔に煙がかからないように横向きに大きく息を吐く。
「煙は嫌いかな。今更で申し訳ないけれど。ないと仕事ができなくてね。これだけは譲れないんだ」

「大丈夫です。僕も昔吸っていたので」
理人が言うと橋山が一瞬目を大きく見開いた。

「意外だな。それにしても禁煙をした中年男のような口ぶりだ」
橋山は20歳そこそこの理人のそのセリフが心底おかしいといったように、肩を震わせて笑いをこらえていた。

「女性か」
そう言うと橋山が笑わずに理人を見つめた。

理人は橋山が質問した真意をすぐに理解した。
「なんでわかるんですか?」

中学の頃から付き合っていた幼なじみと、進学先が異なり別れてしまって煙草を吸い始めた。
母親が喘息気味になってやめたのが半年前だった。自分でも安っぽい喫煙の動機だと思っていたので気恥ずかしかった。

「なるほど」
橋山は1人納得し再びパイプを吹かした。

(この瞳を独占する人間はいるのか)
撮影中ふと湧き上がった疑問だった。
…少なくとも過去にはいた、という事か。

橋山は認めざるを得ない理人に対する執着が腹の底にくすぶるのを感じていた。

もう、理人とこうやって向き合う機会はないだろう…。

「今から話す事は仕事の話ではないし、無理に聞く必要もない。僕の個人的な話として聞いてくれないか」

急にあらたまった口調になった橋山を理人は静かに見つめた。

「僕は芸術家として君に美を見出し、モデルを頼んだ。そこまでは芸術だった。だがどうもね…その域を超えてしまったらしい。僕もずっと考えてはいたんだがどうもよくわからない」

理人は橋山の言葉を映画のワンシーンでも見るかのように聞いていた。
実感として意味を咀嚼する余裕がなかった。

「…しかし今日やっとわかったよ。これは愛なのかもしれないとね」
橋山が途切れた言葉を続けた。

「今考えれば、個人的に作品のモデルを依頼した時点で無意識にそれをわかっていたのかもしれない。…しかし、君ともうこうやって会話する機会はないだろう。おそらく、どんどん遠くに行ってしまうのだから」

橋山は自分でも口走る言葉の異常性は認識していた。

その一方、芸術関係の人間には同性愛者も多く、理人に対しての愛情に近い気持ち、性的な情動が湧き上がることにさして驚きもせず抵抗はなかった。むしろ映像作家としてここまで生きてきて、1度も「その」機会がなかったのがおかしいのかもしれない。そんな気持ちすらあった。

1方理人も橋山の告白に驚きつつも、有り得ない話が目前で展開されているという感覚はなく意外に冷静だった。
芸術家にはそういう性癖を持つ人間が多そうな印象もある。

「…驚かないと言えば嘘になりますけど」
理人は努めて淡々と答えた。
「橋山さんはどうされたいんですかね。つまり…」

橋山は普通であれば動揺を顕にするであろう告白にも真っ直ぐに答える理人に驚きつつ、そんな人間だから自分がこうなってしまったのだと納得する。

「それは君次第だよ。もう僕は告白してしまったんだ。愛の末にどうなるのか、君も女性を愛したことがあるならわかるだろう」

理人は「帰ります」の1言が言い放てないことに自分で戸惑った。

自分は同性愛者ではないのだから、そう言って立ち上がればいい。
しかし広いアトリエに、自分の絵と共に残される橋山を想像するとなぜかそれができなかった。
一種の憐憫のようなものだろうか?
それとも、撮影と、絵のモデルを数時間に渡り勤めている間に、1種の愛情関係が生まれてしまったのだろうか…。

橋山がパイプを置き椅子から立ち上がった。

近づいて大柄の身をかがめ、理人の頬を手のひらで包む。理人は、橋山の指から漂う、自分が吸っていたものとは違う質の良い煙草の葉の香りを吸い込んだ。

暫くニコチンを吸っていない理人は、橋山の手の平から香る僅かな煙の名残りに血が沸くのを感じた。煙草を絶ったばかりの時に他人が吸う煙草の煙に興奮する感覚に近い。

思わずまぶたを閉じてその煙を深く吸い込んだ。
橋山が愛おしい子の頬を撫でるように理人の頬を包んだ。しかし橋山に強引さはない。理人の答えを待っているようにも思えた。

「煙を吸いたい…です。それだけなら別に」

理人がまぶたを開いて橋山を見上げた。
その瞳は迷いがなく無垢な少年のようだ。

橋山は意味を理解しかねたが、理人が一線を置きつつも自分を誘っているのなと気付く。
「考えたね。唇だけはゆるしてくれると?」
「それで、いいですか?」
理人は動揺せずに答えた。橋山は理人を見つめたままニヤリと片側の唇を上げると、振り返り煙を燻らせたまま置いてあったパイプを咥えゆっくりと深く吸い込んだ。

理人は伏し目がちに橋山の足元を付近をぼんやりと眺めている。
表情は少し険しくも見えた。

橋山が近づき身を屈めた。
理人が覚悟を決めたかのように瞼を閉じる。長く揃ったまつ毛が人形のように伏せられたその顔は、少女のようにも見える美しさだった。

橋山がためらうように唇を重ねる。
そのまま唇を開かずに触れるか触れないかの口付けを繰り返した。
理人に遠慮しているようにも思え、理人の方から僅かに唇を開く。
それでも橋山は唇を重ねるだけだ。

理人は橋山が壊れものを扱うように自分に口付けることに驚いた。
このような繊細な口付けを経験した事がない。

自分よりも年齢も立場も遥かに上である橋山のその行動に、どこかしら不憫さのようなものと、慈しみの気持ちが沸いた。

理人は自分から口をわずかに開き、舌先で橋山の下唇に触れた。
橋山がさってまで吸っていた煙草の残り香の味がする。
久々のニコチンの味だからなのか、性的な情動なのかわからないがひどく興奮した。

至近で橋山と視線がぶつかり、理人は斜め下に視線をずらした。目を再び閉じて舌先で橋山の唇を舐める。

理人の挑発に堪えられなくなった橋山が深く口付けた。理人はそれを受け入れ、橋山の後頭部に手を回し引き寄せる。
不思議と、男同士だという違和感も、自分の親ぐらいの年齢の男と口付けをしているという異常性も感じなかった。
むしろ自分にほのかな恋心を抱いた無垢な人間を慈しむような感覚で橋山を抱き寄せた。

深く差し込まれた橋山の舌を強く吸う。
粘膜が直接絡み性的な情動に支配され始めるのがわかる。
呼吸が早くなって、次第に息が上がった。

ふと橋山が唇を離した。
2人の乱れた呼吸が静かなアトリエに響く。

「煙だけでいいんだね?」

底無しのような深みのある瞳が理人を見下ろしている。

「もっと。普通に…して下さい。橋山さんが人を愛するやり方で」

理人は答えた。


~END~
(ひとまず完結としますが続編検討中)





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